スタッフ日記

「致知」という雑誌をご存知でしょうか?
人間学を学ぶ月刊誌というもので、1978年から発刊されています。
11月号にイエローハット創業者の鍵山秀三郎さんの講話が載っていて、良いことがたくさん載っていたので、一部紹介したいと思います。
太字は私個人の感想です。


・自分の能力を遥かに超えることを求められる環境に身を置いた時に、初めて人間は成長していくものなのです。
成長のためには自分を追い込まないといけないということですね。

・成長のもう一つの条件は、覚悟をして決断するということです。、、、何の覚悟も決断もしない人は、いつまで経っても成長できないと私は思います。
鍵山さんの様な命の関わる様な決断はしていませんが、まずは開業という覚悟と決断をしました。この覚悟を成長につなげていきます。

・不可能というのはいまできないことを言うのであって、永久に不可能ということではありません。自分の能力が足りなくてできないのであれば、自分の能力を磨いて高める。一人でできないのであれば協力者を求める。そうすれば、現在不可能であっても、必ず可能になると私は考えます。
今は無理なことでも諦めずに、向き合って乗り越える努力をし続ける。見習いたいと思います。

・仏教に、「忍(にん)の徳たること、持戒苦行(じかいくぎょう)も及ぶこと能(あたら)わざるところなり」という教えがあります。持戒苦行というのは、お坊さんの命がけの厳しい修行のことを言いますが、日々体験するいろんなことを我慢する、耐えるということは、そうした宗教的な苦行も及ばないくらいに尊い修行であるということです。
この一文を読んで、私の中では、辛さに耐えられる度合いが変わったと思います。単なる辛いことではなく、将来に繋がるかもしれない意味を持ったことという捉え方を見いだせたからです。

・『晏子』という小説に、「益はなくとも意味はある」と言う場面があります。無益なことは必ずしも無意味ではなく、意味があるということです。、、、世の中には自分の仕事をただ漫然と、何の意義も価値も感じずにやっている人が何と多いことでしょうか。そうではなしに、他人から見たらどんなに些細な取るに足らないことであっても、自分がやるからにはそこにしっかり意義と価値を感じ取ってやっていただきたいのです。
私はすぐに表面的な意味を求めてしまいがちなので、これを機に些細だと思ってしまうことにも意義を見いだして取り組みたいと思います。

・「百萬経典 日下之灯(ひゃくまんきょうてん にっかのとう)」という言葉があります。百万本のお経を読むほど膨大な知識を頭に詰め込んでも、実践しなければ、太陽の下のロウソクの灯と同じで全く役に立たないということです。
まさに今ここで良いと思ったことは、実行していかないといけませんね。

・目の前のことが自分に都合よくなることを幸せだと思う風潮がある。けれども幸せというのは、目の前の好都合とは全く関係ないものなんです。トルストイが、「努力は幸せになるための手段ではない。努力そのものが幸せを与えてくれるのだ」と書いていますが、私もそう思います。
努力そのものが幸せを与えてくれる、とは深いですね。

・自分の持ち物を自分の身体の一部だと思わない人は、平気で持っている鞄を人にぶつけながら歩いたりする。
(本文の文脈を少し変えています)持ち物は大切にして、周りの方への普段からの配慮も忘れてはいけないですね。私も重い荷物や大きな荷物を持っているときは、自分の中の「重い」や「大きい」という感情に気を取られて、周囲への配慮が薄れてしまうことがあるため気をつけます。

・世の中には、私はこういう性格だからしようがないという人がよくいますね。例えば、ぶっきらぼうで損をしているけれども、自分はこういう性格だから直せないと。しかし、損をしているのは自分でしょうか。本当に損をしているのは周りですよ。その人に会う度に不愉快な思いをしなければなりませんからね。自分が損をしているというのは勘違いで、本当は我がままなだけです。そんな我がままを通して、いい人生を築くことはできません。
自分の気持ちに支配されるのではなく、周りの人への気配りを忘れない。二人称や三人称で物事を見れるように意識しないといけないですね。

恥ずかしながら鍵山さんの本は読んだことがないため、近いうちに読んでみようと思います。

ちなみに、致知11月号は『遠慮』という言葉がキーワードとなっています。
巻頭ページの引用です。
遠慮とは、遠きを慮(おもんぱか)ることである。”遠き”には二つの意味がある。時間的な遠い将来と空間的な広がりである。、、、
いま・ここ・自分の都合だけでなく、遠い将来に思いを馳せ、彼方此方(あなたこなた)を慮る。そういう父祖の営みがあることによって、私たちはこの時代の繁栄を生きていることを知らなければならない。、、、
『論語』にいう。「人、遠き慮らなければ必ず近き憂(うれ)いあり」もし人が遠い将来を見通し、広く周囲を見回して深い思慮を巡らせておかないと、必ず手近なところに憂うべきことが起きてくる。

遠い将来のことをよく考える→すぐ行動をとらずによく考える→態度を控えめにする
として現在の”遠慮”の意味になったようです。

今日のブログは、私のアウトプットのために書いた様なものですが、おこがましいながらも少しでも読んでいただいた方の将来にプラスになることがあれば、とても嬉しいです。